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もともと鯨は漁船や灯のための油を採取するためや肥料、鯨肉、鼈甲を採るためなど多くの目的で利用されてきた。
しかし現代になっては石油は輸入すれば良いし、鯨肉だってマグロほど消費されているわけではない。
鯨は食べ物としても缶詰で売っている程度で、ラップで包まれて発泡トレーで売られているのなど我々が目にする機会は稀だ。現代では鼈甲や伝統工芸品の部品の一部として使われているのみで、用途はあまり広く知られていない。日本が捕鯨を中止するとこのように鼈甲が生産でなくなったり伝統工芸品が作れなくなる。
私は捕鯨反対運動には反対したいが、日本政府の言い訳にはどうも引っかかるところがある。それは捕鯨は日本古来の伝統文化だからやっているという点。
アフリカの奥地には人を食べる部族もいるしそれも文化といえば文化だし、東南アジアだってクモを食べる。中国だってゴキブリやタガメも食べる。日本や韓国にしてみればタコを食べる。それぞれには文化が有り、それぞれにとってはやめさせられる筋合などない。
しかし倫理というものがある。クモやムカデを食べるのは必要だから食べるのだから、食べてはいけないなどとは誰も言わない。そこで日本政府が他国に文化だから鯨は食べますというのいくら言っても、彼らは聞く耳を持たないだろう。
なぜなら食べないのが彼らにとっての倫理であり価値観なのだから。
日本政府は鯨は漁業資源を食い荒らすから日本は海の警察的な役割を担ってます、とでも説明した方がまだましなのではないかと思う。

今回の衆議院選挙でも多くの政党がマニフェストに掲げた、介護職の賃金上昇。実はマニュフェストでは月4万円の賃金上昇が約束されたが、これでは全く足りないのだ。年間でも48万円。介護職の労働環境の悪さや精神的、肉体的な疲労を考えると、こんな額ではまったく足りないのである。
昨年にも介護職と一般職の年収の比較が行われ、介護職員の平均年収は35歳で約264万円。給与所得者の平均年収(約434万円、06年国税庁調べ)と比べて約170万円も低い。低賃金なうえに、食事、入浴、おむつの取替えといった老人介護の職場は重労働で、さらにはキツイ、キタナイ、キケンの3Kなのだ。介護サービスの受給者は全国で292万5000人。受給者一人あたりが介護施設や介護サービス業者に支払っている費用は月間17万4700円に上る。あるデータでは勤続3~5年で年収250~300万円、10年で280~320万円、なんと20年でも350~400万円なのだ。
介護施設は全国には3200を超す数しかなく、十分とはいえない。これも大きな問題である。
これは一つの都道府県に平均して30にも満たない。これは大問題だ。
介護施設を建てるのにお金はかかるし、建てられても収入は少ない。なぜなら被介護者は高い金を払っても、人件費によってそれは消え労働者の収入は少なく、 当然施設側の収入も少なくなる。建てても決して高い収入は期待できるものではないのである。当然施設は少なくなる一方だ。背景には、需要があるにもかかわらず人件費の高さから多くの労働者(介護職に就く方)を雇うことはできない。だからといって政府は補助金を出してくれないから人件費が高いために、労働者の賃金は大幅に削減されてしまう。
これではいつまでたっても労働者の賃金は上がらないままだ。政府は補助金を出して、労働者の手取りを増やすべきである。負担が大きいにもかかわらず、給料が少ないとはとんでもない話だ。
このままでは労働者間の格差が拡大するばかりである。
介護職はその精神、肉体ともに多大なる疲労を要する職業でありながら、「肉体労働」あつかいにより給料は大変低く低賃金労働を強いられているのだ。介護は 土木業や工場などの肉体労働ではない。肉体はもちろんだが、精神まですり減らして仕事をしているのだ。様々な環境で育ってきた老人を相手に話を聞いたり接したりするのがとても大変なのだ。決して「肉体労働」という位置づけにいてはならない のだ。これは介護職がいまだ世間に、政府に認められていない証拠である。政府はこの見方を早くとりやめ、介護職を立派な「職業」として認め、他の職業と同 様に賃上げをするべきだ。補助金を出すべきだ。これなしには今後の介護の充実にはつながらないだろう。なぜなら日本の介護を支えているのは介護職に就く方 々であるからだ。彼らなしには日本の介護はないのだから。
労働者の質も重視すべきだ。パートのように一定時間しか働いていない人の場合、被介護者との対話能力のない者が被介護者と接してしまい、心を傷つけかねない。介護はただたんなる肉体労働ではない。被介護者との心の接触が必要なのだ。ただ単にメニューをこなすような仕事ではないのだ。労働者の質が高くなければ、被介護者はいやな思いをするばかりだ。経験もないのにそういった職についてしまうとなにもわからぬまま勝手にやるから大変なのである。
介護を受けられる基準が高いため、本当に介護が必要な人に介護がされないという現実もある。被介護者は要介護認定制度によってそのひとがどれだけの介護を必要としているのかを5段階で評価される。要介護認定があると介護サービスを普通より長時間受けることができる。度合いが低ければ、それより多くの介護サービスを希望する場合、特別に多くの金額を払わなければサービスを受けることができない。評価方法は各家庭に調査員を派遣し、そのひとの所作を見て判断するのだ。今年4月導入の新しい要介護認定制度で、認定が一気に2~3段階下がり「非該当」とされる人が出ている実態が調査結果としてでている。これでは介護を受けられる人が減ってしまう。国にとっては「経費」を削減できるからいいかもしれないが、介護を受ける人にとってはとんでもない話である。
せっかく認定されて介護を受けられると思ったのに、勝手に下げられてしまってはたまらない。いきなり放り出されてしまうわけだから。
被介護者の負担も大変大きい。介護保険による支給があるとはいえ、要介護5であっても上限388300円だ。支給されるとは言っても、現金ではなくサービスを受ける際に割り引かれるだけだ。要介護5となると介護が最も困難とされる人々が該当するため、一か月あたりに 同居していた祖父の場合、一番大変な時で23万円の給付金が出た。
具合が悪くなって入院した時には大変だ。入院した際にも介護保険は出ないので、負担は一気に増えるのだ。介護施設で具合が悪くなったときでもそうだ。これはどうもおかしい。病院での療養も介護の一環として考えるべきだ。そうでなければ家族の支出は莫大なものになってしまう。そうなると家族は介護を続けられなくなる。そういったことから一家心中だとか自殺は始まるのだと思う。そういった細かいところから始まるのだ。


